2008年4月20日 (日)

映画【大いなる陰謀】を観ました

大いなる陰謀】を観ました。原題は【Lions for Lambs】です。なぜ邦題を設けないといけなかったのか私には疑問です。むずかしい英語でもないのだから原題のままで良かったんじゃない?って思ってるのですけど。。。この邦題とトムクルーズの出演のせいでどれだけの日本人の観客が戦闘シーンの多い娯楽映画と勘違いして見に来ているかわかりません。私も勘違いしていました。見るまでトムの格好良いアクションシーンが見られるに違いない、って。

この映画は政治映画でした。考えさせられる映画です。答えはありません。あなたならどう考える?と問いかける映画です。

場面は、①ワシントンの次期大統領をめざす上院議員(トム)のオフィスの中で彼が今現在進めているアフガン侵攻の新作戦について女性ジャーナリスト(メリル・ストリープ)に語り、それに反抗の気持ちを抱きつつも冷静にジャーナリストとして彼とのやり取りをする場面

②ニューヨークの大学の教授(ロバート・レッドフォード)のオフィスで教授が最近授業に出てこなくなった優秀な生徒との面談の場面

③上院議員が仕組んだアフガン侵攻の作戦で不運にも雪深いアフガンの夜の山岳地帯上空で撃墜されて落下した2人の兵士(かつて教授が教えた生徒2人)がケガを負い動けないながらもアフガン側の兵士と闘う場面

の3つの場面がが同時に進みます。絶体絶命の2人の兵士の場面から急にニューヨークの大学教授のオフィスでの生徒と教授の会話のやり取りの場面へ、ワシントンの上院議員のオフィスの中のシーンへ移ります。同じ時間にそれぞれの場所でそれぞれに同時進行で生きるそれぞれの人生。現場(戦場)を知らない上院議員(トム)は自身の世論の支持を得るための作戦として兵士の尊い命すら利用しようとします。原題の【Lions for Lambs】の意味を考えてみました。力の強い動物の象徴であるライオンと力の弱い動物の象徴、生贄のイメージでもある仔羊。仔羊のためのライオンって。。この映画では私はライオンを政治を動かす大いなる力、仔羊をそれに翻弄される国民というイメージを持ちました。Lambs for LionsではなくてあえてLions for Lambsにしたのは何故?と思ったり。難しいです。もう一度ちゃんと観たいです。原題もこのストーリーも『深さ』を感じます。この映画は観た人が自問自答するための映画です。答えはどこにもありません。考えさせられる映画です。こういった映画は今のアメリカにも日本にも必要なのかも知れません。『硫黄島からの手紙』と同じくすべての人が立ち止まって考えるための映画だと思います。オススメの映画です。

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2008年4月11日 (金)

映画【かもめ食堂】を観ました

Movie/かもめ食堂

前から私が【かもめ食堂】を観たいを言っていたからか夫がDVDを借りてきていることを今日帰ってから気付きました。夫は宴会があるし、お酒を飲みながらひとりで先に観ることにしました。

この映画を観て思い浮かんだのは『寛容』という単語と『人は変わる』という言葉でした。この映画の主人公(女性)はフィンランドで小さな日本食の食堂を開いて1ヶ月たってもお客さんは一人も来なかったのだけど、初めてやってきたお客さん第一号のフィンランド人の学生風の男の子に感謝のプレゼントとして無償で毎日コーヒーを提供する寛容さを持っています。偶然出会った日本人の観光客の女性2人は無償でお店の手伝いをする寛容さを持っています。捕まえた泥棒にすらおにぎりをご馳走する寛容さも持っています。主人公のお店の女主人はフィンランドで日本人が食べる鮭、梅干し、おかかのおにぎりをフィンランド人に提供したいというポリシーも持っています。女主人は来る日も来る日も来ないお客さんのためにテーブル拭き、グラス磨きを怠らず清潔を保っています。お店を手伝い始めた観光客の女性はおにぎりの具を現地の人向けに変えたらどうかと提案します。お店の女主人は考えた挙げ句、試しに作ってみることにしました。が、どれもおにぎりには合わなくて断念。。ある時、シナモンロールを作ってみようということになって作ってみるとその香りにつられてお客さんがやってきました・・・といった感じでストーリーはスローにまったりと流れていきます。

★思ったこと★

全体を通してBGMは少なく、起承転結らしいものもありません。でもなぜか心が癒やされる映画です。主人公の人を見た目で決めつけない、相手の意見、考えを否定しない、お店にお客さんが来ない毎日でも水泳に通う余裕を持ち、たまたま出会った暗い過去がありそうな日本人観光客を家に泊めて食事を提供してあげる寛容さも持っています。ゆったりと流れる時間。。。フィンランドの沈まない太陽の白夜は『不安』を連想させません。それぞれの人物に過去があるのだろうけど、それは問題ではなくて今をどう生きているかだけ。そして人は変わり続けているってこと。私もよく自問自答します。『私はどう変わったんだろう?』って。5年前の私なら、10年前の私ならどう思うんだろう?と何か考えることがあったときに思います。明らかに今の自分の考えと、10年前の自分の考えが違うことも同じこともあります。内容によっては5才の時の自分と今の自分が同じのこともあります。中学生の多感な時期の私が考えてこれが正しいんだ、これが正義なんだ、私の考えは一生変わらない!なんて思ってたことが今では全く違っていたりもします。映画の中で『人は変わる』っていうセリフがありました。今、私が考えて正解だと思っていることが10年後にはまったく違っていることもあるだろうな、って最近よく思います。人は不思議です。なぜか美空ひばりの歌の『人は可愛い~♪可愛いものですね~♪』っていう歌詞が思い出されました。

人は誰でも本当は寛容な自分でいたくても都会に住んでいると寛容になれない事情があるのかも知れません。この映画を観た人は『ほっとできる』とか『疲れがとれる』とか『ほのぼのした気分になれる』と言います。この映画で『疑似寛容』の体験ができるからなのかな。。。私がほとんど観ることのない邦画ですがオススメです。

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2007年8月10日 (金)

テレビで『尾崎豊がいた夏』という番組をみました。

私はファンというわけではないのですが、彼の死後、興味を持ってビデオを買って観ていました。高校生の時に同級生の子が彼のファンでだったのですが、私の尾崎豊のイメージはとっても悪いものでした。【不良・反抗】というイメージでまったく興味がなかったのです。が、彼が26才のときに突然死したニュースや報道などをきっかけに興味を持ちました。彼の歌のほとんどは彼が15才のときに作ったものだそうです。テレビで見たステージ上の彼の端正な顔、19才という若さなのに自信にあふれ、表現に迷いがない、なりきっていることに照れもない。ステージ上での【狂気】すら感じる彼の表情にも何故かひきこまれるのです。脳科学者の茂木健一郎という方が彼の魅力を説明されていました。彼は200年か300年に一人現れるくらいのアーティストだったと表現されていました。私も納得です。彼は本当の芸術家だったのだと思います。小さい時からまわりに迎合することができなかったのは彼の中の芸術性が大きかったのではないかと思いました。芸術家って表現せずにはいられない、表現することが自然なこと、表現することが生きること、自分の表現に絶対の自信を持っているって部分があって。彼のステージを見ていると、彼には表現することにまったく迷いが感じられません。表現することにおいて、これはやって良くてこれはやっちゃダメだろ、って感覚は彼にはないと思います。歌詞は文字数を大きく超えたメッセージ重視のものが多く、ステージでは走り回ったり、転がったり、ステージの骨組みに上ったりしてスタッフを振り回し。。。当時、そんなことをする19才の歌手はいなかったのでは。格好つけてるつもりはなく、自分をストレートに表現するとああなる、という感じ。ジャニーズの子たちがやってもあんな表現はできないはず。ステージ上では表現することはできてもほとんどの時間を人間社会で過ごさないといけないことは彼にとっては孤独と空しさを感じていたんではないかな。と思いました。この世で生きていくには妥協の連続なわけだけど、精神がストレート(純粋)すぎた彼には生きにくい世の中だったのではないでしょうか。。。彼の最期は悲しすぎます。

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