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2007年10月11日 (木)

沖縄旅行3日目(ひめゆりの塔・平和記念公園)

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ひめゆり平和記念資料館へ行きました。

『ひめゆり』の由来は、沖縄県立第一高等女学校と沖縄県女子師範学校が併置されることでそれぞれの校友会誌『乙姫』と『白百合』がひとつになって『姫百合』となって、戦後『ひめゆり』とひらがなで使うようになったそうです。青春まっただ中の生徒たち、職員合わせて300名ほどのうち、220名ほどがこの沖縄戦で亡くなったそうです。

写真は撮らなかったのでありませんが、ひめゆりの塔は小さく、後ろにある壕の穴は大きく地中から地表に開いていました。ここにひめゆりの生徒たち100名が従軍看護婦として働かされていました。1945年の沖縄戦の際、ここにはたくさんの負傷兵が収容され、ひめゆりの女学生たちは手当や切断した足、死体の処理に追われ、寝る時間もなく働き続けていました。水くみや死体の埋葬に出るときも命がけで壕の外に出ました。そんな毎日を壕の中で過ごした挙げ句、6月18日に突然、『各自の判断で行動せよ』との解散命令を受けて米軍が包囲する戦場に投げ出されてしまいました。解散命令の翌日、米軍のガス弾が壕に投げ込まれて40名が死亡、壕を飛び出した生徒、教師のうち多くは手榴弾で自決しました。岩陰に隠れるなどして数ヶ月さまよい生き残った生徒が数人いました。『ひめゆり平和記念資料館』では生き残った女性の貴重な沖縄戦での体験を語るビデオを見ることができます。この資料館にはしらゆりの生徒ひとりひとりの写真パネルとひとりひとりの性格なども書かれ、いつ、どんな死に方をしたかが書かれています。『○○で爆撃により両腕を失い3時間後に死亡』といった感じで。このパネルが部屋にびっしり並べられています。本当は全員ひとりひとり見ていきたかったのですが、時間がなくて断念したことが心残りです。この資料館には半日くらい時間をかけて滞在したかったです。この資料館は反戦の思いとと平和のありがたみを後生に受けついていくためにとても大切で大きな役割を果たしていると感じました。


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